映画「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」


感情移入が完全に出来ないまま、エンディングを迎えて、「エンディング映像」を見て、納得できました。
これは映画ではないウルトラシリーズ40周年記念のイベント映像なんだ」

今回、黒部進さんをはじめとするウルトラマン人間態を演じた俳優さんが大挙出演なさっています。また、「ウルトラマンダイナ」から山田まりやちゃん、布川敏和さん、「ウルトラマンネクサス」から堀内正美さんが以前の出演作を思わせる役名でカメオ出演されてます(この3人の出演シーンはかなり笑わせてくれたナイスギャグでした)
他に、友情出演として「ウルトラマン」から桜井浩子さん、「ウルトラセブン」からひし見ゆり子さん、「帰ってきたウルトラマン」から池田駿一さん、「ウルトラマンエース」から星光子さんの名前もありました。
ずっと映画を見進めてきて、エンディングに入ってしまい、あれ、この4人はどこに出てきたんだろう、モブシーンで見逃してしまったかな?と思っていたら、

エンディングに、ウルトラマン40周年記念のパーティの場面(実際の映像)が挿入されて、そこにドレスアップして参加なさっている4人の姿があったのです。

これを「友情出演」という枠でキャストロールに乗せてくる姿勢。
これは、「映画」という体裁をとりながら、遊園地などで見せてくれる映像特典の派手なものだと思わざるを得ませんでした。ゆうた君には「これはウルフェスだよ」と述べたのを覚えています。



映画としての感想。映像的には、まず演出の面で「引っ張り」とか「溜め」とか「じらし」とか、そういう場面がほとんど見られない。
冒頭シーン、いきなりウルトラマンのバトルシーンというのはなかなか燃えますけれど(しかもトップバッターが一番好きな新マンだったというのも嬉しかった)、これは小中和哉監督の常套手段ですし目新しさはありません(例えば「ティガ&ダイナ」ではスーパーGUTSと怪獣ゲランダの宇宙戦シーンにウルトラマンダイナが割り込んでくるオープニングでしたし、「ティガ・ダイナ&ガイア」では実はテレビの映像という設定なんですが我夢=ウルトラマンガイアとサタンビゾーのバトルシーンから始まっています)。

「あっ!ウルトラ兄弟が出てきたぞ!」
という感激がない唐突感でした。

ほとんど同じことが、今回の悪役である宇宙人連合のシーンにも感じられました。いきなり全身像がばっと画面に写っては、「あ!テンペラーじゃないか!」という感激は得られません。
ただ淡々と、歴史的事実を述べているだけ。
宇宙人は不気味な、人間のロジックが通じない相手であると思うのですが、最初からぺらぺらと日本語をしゃべっている。それも黒幕という雰囲気ではなく、小悪党という感じでしかありませんでした。

唯一、そういう映像的演出だなと思えたのは、北斗星司登場シーンが「手」だけで、ウルトラリングが本人より先に見える場面。しかしこれは監督ではなく、演じた高峰さんご自身のアイデアだそうです。

ストーリー的にも、「信じる心が力に変わる、不可能を可能に変える」という、先日ここでも書きました「負けるもんか、と頑張ればウルトラの星は見える」というウルトラマンエースの教えに近いメッセージが盛り込まれていて、そこは「ウルトラ映画だな」と感じられたのですが、その言葉を授けられえた少年が最後は傍観者になってしまい(メインがウルトラマン同士の対話に移ってしまった為)、*1今回のタカト少年は姉が行方不明という大ピンチを全く忘れてしまっている、よって説得力が感じられない。
直前に、かつて見殺しにしかけた飼い犬を命がけで救ったシーンで彼の存在意義はなくなったのかもしれませんが、だったら画面に登場させなければよかったのです。
CREW GUYSの面々に関しても同じことが言えます。

つまり、「演出」としての問題点だといえます。

そして、ウルトラ兄弟同士の対話がストーリーの中心になっていたため、特撮も樋口真嗣監督*2が以前、「ガメラ」(1995年)のパンフレットで揶揄していた「神の視点」になっているのです。
折角、身長40〜60メートル級の巨人が何人も何人も登場しているのに、目線が「上」なので、とても軽々しい。実在感が無い。巨大感もない。
その究極が、最終決戦における「板野サーカス」乱発です。
ゆうた君に思わず言ってしまいました、

「あれは特撮か?」

ガンダムマクロスそのままの、納豆ミサイル連発。最後の敵がほとんどCGで作られているUキラーザウルスネオだったため、絡むウルトラマンもほぼ全編CG。
これじゃ「逆アイゼンボーグ」です。特撮でやる必要はない。変身後は特撮監督をおかず、板野一郎一人で映像を作っても、大して今回と変わらない映像が出来てしまうでしょう。
しかし、それで面白いか?

面白い映像を作るために、板野さんのアニメ技術を使うのであれば問題ない。
しかし、これでは手段と目的が取り違えられている。
どういうことか、というと、

CG怪獣と生身のウルトラマンが戦うとしたら、怪獣に触手をつけ、触手が巻きつく、それを切り裂く、というアクションしか出来ないからです。
演出の幅が、実は滅茶苦茶狭くなっていることに、監督は気づくべきでしょう。

パンフレットを見ると、デカスゴという売り文句だった「ティガ&ダイナ」のクイーンモネラよりも設定身長が50メートル近く大きい、300メートルだからUキラーザウルスネオはすごい、ということになっているようですが、それだけデカければ、50メートルくらい大した差じゃないでしょう。クイーンモネラはまだ初めてだった。今回は2番煎じですからインパクトは落ちる。更に、クイーンモネラも触手でダイナと戦っているのです。
*3

クイーンモネラはまだ、腹部にダイナを捕らえるというギミックをつけていましたが、Uキラーザウルスネオに関してはそういう「肉弾戦」の要素はほぼ皆無。

であれば、最初から特撮であることをやめて、アニメ作品にしてしまえば。一から十まで板野さんに任せてしまえば、Uキラーザウルスネオと取っ組み合うウルトラマンが描けたでしょう。


以前、円谷英二は、どんな面白い映像を「作る」かに拘りました。飛行機を飛ばし、山肌を旋回するにはどうしたらいいかと考え、「飛行機を固定して山肌の方を回す」方法を編み出したり、飛行機はピアノ線で吊ってるんだと飛行機の上部ばかりを見つめる意地悪な観客を欺くために、カメラをさかさまにして飛行機を逆に吊ったり(だから映像では飛行機の下にピアノ線が見えるのです。もちろんそうすると、飛行機の挙動のコントロールが大変難しくなるはずですが、そのリスクを犯してでも新手法を試したのです)、昭和31年の「空の大怪獣ラドン」においては、その「吊り」の飛行機が橋の「下」をくぐるという妙技を早くも披露しています。

昭和40年の「フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)」では、バラゴンの出現に怯える馬小屋の馬を、スタッフは実物を撮影してきて合成しようというのを「それでは面白くない」と、わざわざミニチュアを作って撮影したりもしていました。

それがどうですか、今回の映画は。
ウルトラマンと巨大な怪獣とを戦わせるにはどうしたらいいか、という命題に、

全部CGにしちゃえ。

で解決した結果、これでは肉弾戦が出来ない、だったら怪獣に触手をつけて、という既に何度も使った手法を繰り返し使う。しかも出来上がったウルトラマンの画像は、昨日、カプセルホテルで見たPSPのゲーム映像と比べても著しく優れているとはいえない。わざわざ一般ファンになじみの少ないAタイプにした初代ウルトラマンのマスクが全然再現できてない。
もしかしたら来年の映画、特撮監督はジョイスティックを操作しながらウルトラマンを演技させてるかも知れません。スーツアクターモーションキャプチャーのデータ取りのためにだけ存在する職業になりそうです。

どうやら僕は、「志」のあるなしで作品を評価するようです。
面白い部分はたくさんあった映画でした。しかし「志」では、先日見た「ウルトラマンランド」でのステージショーとどちらが優れているか。
胸を張って「映画だ」と言えるかどうか。

この映画は、誰に向かって作られたものなのか。
タカト少年の回想シーン、実年齢よりも明らかに幼稚な遊び方を要求された子役さん。
かなりディープなファンにしか解らないしわくちゃのAタイプマスクをかぶらされた初代マン。

幼児向けなのか、ファミリー向けなのか。ヲタ向けなのか。

お祭り映像にするなら、セブンに一度でもエメリウム光線を撃たせてもよかっただろうに。
みんなが楽しめるように、というイベント性なら、ウルトラマンランドの方が格段に上ですよ。

楽しめた場面もあっただけに(ウルトラマン勢ぞろい、それも変身前!)、残念でした。

*1:同じ小中監督作品である「ティガ・ダイナ&ガイア」では最後まで少年が主役を張っていたにもかかわらず

*2:代表作は「ミニモニ。じゃムービー お菓子な大冒険」。そうなの!誰が何と言おうと!

*3:おまけに映画「ウルトラマンティガ」のデモンゾーアだって同じような「デカい」コンセプトだった。そして全て、CGで作られた怪獣なのです。