スケバン刑事感想

本日公開の「スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ」、早速見てきました。
相変わらず偉そうに語りますwww
核心の所は隠しますけど、まずは一般論から。
この映画のストーリー、演出を語る上で、いくつかキーワードがあると思います。
全ての「お話」に共通するものとして、

1.主人公の魅力

というのがあります。そこに「脇役(サブキャラ)の魅力」というのが加わるはずなんですが、特にこのようなヒーロー(ヒロイン)ものの場合、敵が存在してそれを主人公がやっつける構成ですから、

2.魅力的な悪役

も要注目ポイントになります。
更に、この作品は20年近く前の作品を復活させたものでして、それを考え合わせると、他にもキーワードが現れてきます。

3.旧作へのオマージュと旧作を知らない人でも楽しめる演出のバランス

実はごく最近、同じような設定映画を僕は見ているんですよね。
そう、「ウルトラマンメビウスウルトラ兄弟」。
企画としては非常に似通っているこの2作を比較すると、

4.主人公の成長(変化)
5.CG、合成を絡めたアクションシーン
6.3分間の時間制限

というところまで似ているんですよ。
普通に「スケバン刑事」の感想をお書きになる方は何万人もいらっしゃるでしょうからw、僕は敢えて、ウルトラファンであり石川梨華ファンとして、両作品を並べて感想を書いてみようと思います。


まず
1.主人公の魅力
について。
これはもう、松浦亜弥の圧倒的なポテンシャルに尽きると思います。
パンフレットを読む限りでは*1、深作監督もアクションの横山監督も絶賛してますね。
観客として見ても、全編を通じての「冷たい目」、そこに「どんな命も救いたい」と思う4代目サキ(以下、普通に「サキ」と呼称します)の心情が時折見え隠れする微妙な感情表現はさすがだと思えました。
化学部東山が自爆しかけるシーンで、それまで鬼の形相で追っていたのに、突如悲しみをたたえた目で説得を始める。あのショッピングモールのシーンが最初の白眉でした。
サキは、ラストボスである騎村に対しても、爆死1秒前まで命を救おうと行動します。これは逮捕して捜査を進めようと考えるより、やはり「生命」を救おうとしたと考えたいところです。
同様に、自らが保護する立場になってしまった今野多英に対する目線、信頼を寄せるようになってきた吉良に対する目線(親子丼!)などの使い分けが見事。

本人の演技以外でも、深作監督が麻宮サキをかっこよく描こうと、旧作も意識しながら魅力的なキャラクターを作ってくれています。
冒頭、ニューヨークでの乱闘を思わせる充血した左目、親にはぐれたホームレスの娘と接した際の、その左目から流れる血の涙、聖泉学園*2に初登校する際の周囲のビニール傘(映像的には白く見える)の中で一つだけ赤い傘に表される孤独感などなど。

このシーンは暗闇指令*3との対面シーンの回想と交えて、仮名「K」であった彼女が「麻宮サキ」と呼ばれる初めてのシーンを印象的にしていました。
あとでネタばれされるんですが、実の母の本名である「麻宮サキ」を名乗ることになった彼女の心境は如何に…敢えて描かれていないところに想像の余地が残されていますね。

あまりにベタな古臭いセーラー服だったり、ラストバトルの名乗りなど、旧作の踏襲場面を作っておきながら、「こんなの着るのかよ」とサキに嫌がらせてみたり(登校シーンでも「どこの学校の子だ」と言われてるし)、名乗りを聞いた悪党共が嘲笑してたり、「形だけなぞってるんじゃないんだよ」といい意思表示が見えました。

さてそろそろ次のキーワードに行きましょう。
2.魅力的な悪役
一番の頭である騎村時郎。窪塚俊介が演じる謎のキャラは、その目的が最後まではっきりしません。
三好絵梨香演じる神田琴美の心を奪い、石川梨華扮する公安特命刑事・秋山レイカを男性の魅力で篭絡し*4、サキにも微妙な感情を起こさせ(吉良に彼の話をしながら「男を見る目がない、親子丼だね」と発言しているところを見ると、彼女も騎村に異性としての魅力を感じていると思われます)、その結果として集会を起こさせ、その目的が集団テロか何かと思わせながら、その騒ぎに乗じて取り巻きとともに銀行強盗を犯す。
何だ、金目当てか、思ったより矮小な悪役だと思ったら、強奪した札束をほとんど投げ打ったまま最終決戦の地に赴き、
「全てゲームだよ。楽しめよ」
と言い放つ。

この意味不明さ。常識のロジックが通じない悪役だからこそ恐怖感が募ります。
彼に踊らされた「エノラゲイ」常連たちも、集団自殺しようとしたかと思うと、誰かを殺そうとしたり、多英が爆弾を抱えて現れると一転して死ぬのを怖がって暴徒と化したり、完全に混沌としています。

この非常識さ。どう考えても、最初から日本語をぺらぺらしゃべっているナックル星人やテンペラー星人の数倍恐ろしい敵です。最後は自爆して果て、サキに逮捕されるという屈辱を味あわないまま、きっと勝利感を抱いたまま死んで行きました。憎むべき、見事な敵役だったと思います。

人間とはもろいものだ、人が崩壊していくのを見るのは面白い、僕は背中を押してあげるだけだ…
実に悪質。しかし人間の心に挑戦するキャラクターであればウルトラシリーズにも多数出現しています。映画メビウスに登場した連中はもちろんですし、メフィラス星人という御大も存在します。*5
ウルトラファンとして、人間を超越した存在である宇宙人を描いておきながら、悪役として完全に負けてしまったのが悔やまれてなりません。

さて本来なら一番、多くの文字数をかけて語るべきは、今回悪役デビューの石川梨華です。
元々運動神経がないくせに、ヨーヨーの技を多数マスターし、それに演技を絡める勘のよさをスタッフが褒め称えている彼女。
以前から、その思い込みの激しさから「変身能力」は高かった彼女。今回も役作りは完全で、まず初登場でサキに因縁をつけるシーンからキャラクターは完成されていました。「つかみ」部分で説得力ある演技が出来たのはその後のストーリー進行に有意義に働きました。振り返ってみると、取り巻きに満面の笑みで手を振って答える「アイドル」の顔、一転してサキを睨み付ける冷徹な表情、「タイマンってどこの国の言葉?怖い怖い」と嘲笑する女王様の笑顔。見事な憎まれ役です。

本来はサキと同じく(所属は違えど)特命刑事でありながら、騎村の男性としての魅力に惹かれ*6、騎村の言葉の受け売りとも思える「こっちの方が面白い」との言葉で裏切ってしまうネガティブスケバン刑事が彼女。
古くはキカイダーにおけるハカイダー、最近は仮面ライダーに敵対する悪ライダーなど、「スケバン刑事」を製作する東映には「ネガティブヒーロー」は数多ありますが、彼女もその系列に連なる新種といえるでしょう。
サキの「赤」に対する青い(しかもアイアンカッター装備!)ヨーヨーを、サキ以上に巧みに操って見せ*7、絶対的優位に立って後、サキをなぶり殺そうとする悪辣さも、「悪役」として徹底していて、こういうの好きですね。

形から入る彼女が選んだのは、3期タンポポ時代に使っていた縦ロールのお嬢様ヘアでした。監督の指示だったかもしれませんが、実に憎たらしかった(褒めてます)。

他のサブキャラですが、美勇伝の二人は出来るだけ「自然のまま」の演出をなされたようで、イントネーションを強制されたりせず、唯ちゃんなどそのまま、ゆったりした関西弁のキャラクターにしています。演技経験の浅い二人が、迫真性のあるキャラクターを演じるためには適切な方法だったと思います。

続いて
3.旧作へのオマージュと旧作を知らない人でも楽しめる演出のバランス
サキの実の母が、初代麻宮サキ(というか、本来の麻宮サキ)である。暗闇指令が健在である。
これは諸刃の剣です。そして、深作監督のさじ加減は適切だったと思います。これ以上、例えば初代サキがどうしてニューヨークに行ったのか、旧作のあの後はどうなったのかを詳しく説明したりしたら、この映画はただのレトロ主義になり、新作映画としての存在価値をなくしていたでしょう。この二人は、あくまで過去のシリーズとのアンカー役に過ぎない。ただ、スケバンだった初代サキが相変わらず「ワル」だったのは、正義の味方になっているよりは納得がいく「後日談」になっていました。

4.主人公の成長(変化)
精神的な、人格的な変化はもちろん、「ヨーヨーの腕」という映像的な説得力を以って、彼女の成長を見せています。
サキは、その名前とともにヨーヨーを受け取り、暗闇指令に投げつけますが、無様にも床に転がるだけに終わります。
イカの取り巻きとの喧嘩の際、一度ホルスターに手をやりますが、ここでは敢えてヨーヨーを使わないで素手で叩きのめします。
化学部・東山を追うシーンで遂にヨーヨーを使用!しかしこれが大失敗、思ったところに命中しないばかりか帰ってきたヨーヨーを受け損ねて頭部に直撃させ、昏倒してしまいます。

それが、徐々に上達し、最終決戦では初めてヨーヨーが赤熱する新機能を発揮して騎村をKOするのです。

序盤から何度も4兄弟合体光線を使った上でUキラーザウルスを取り逃がし、「ウルトラ兄弟弱し」を印象付けた上、最後のメビウスインフィニティに「必殺技」を用意しなかった(Uキラーザウルスから人質を取り戻したら勝手に死んじゃった)小中監督の演出プランと比較し、主人公をかっこよく描くという点でどちらが適切だったか火を見るより明らかです。
まして、メビウスとは宇宙警備隊のルーキーであり、成長していくのが魅力のヒーローであるというのに。

5.CG、合成を絡めたアクションシーン
CG、並びに合成とは何故使うのか。
描きたい映像が監督の頭にあって、しかしその映像が現実的に再現不可能な際に、フィルムの中にだけその現象を起こさせるために、「手段」として使われるのです。

この映画で言えば、例えば冒頭の先代特命刑事(ハロプロファンなら唸る、まさかのあの人)の爆死シーン。実際に渋谷センター街で爆発させるわけに行かないから合成を使った。
他にもロケ地の校舎や廃墟に損傷を与えないために合成を使った。

何でもかんでも合成を使ったわけではありません。本当の爆炎の方が迫力があるのは明らか、だから神田琴美の自爆未遂事件のときは、本当の爆発を使っています。
つまり、「合成は手段」なのです。
ヨーヨーのシーンに使われていたCGも同様、あんな動きを現実のヨーヨーがすることは無理だから、CGを使ったまでで、実際に可能なヨーヨーの動きに関しては、石川梨華に猛特訓を課し「実際のヨーヨー」で勝負しています。
ワイヤーアクションにしても同じで、松浦亜弥に吹き替えを使ったり、CGで人形を作ってくるくる空中回転させてもよかったはず、しかし本物の松浦亜弥が格闘することで「迫真性」「現実的」な迫力が表現できるのです。

CGや合成「を」見せようとしたウルトラ映画。
CGや合成「で」見せようとしたスケバン刑事

どちらがかっこよく見えたかは言うまでもありません。

6.3分間の時間制限
なんとこの映画のラストシーン、人質に取られた多英たちに時限爆弾が仕掛けられ、3分で爆発する設定が与えられました。サキは3分で敵に勝たなくてはならない。
このタイムサスペンスは、「ウルトラマン」で使われていた手法だったはずですが、最近のウルトラマンではカラータイマーは「エネルギーが切れかけている」「ピンチである」ことを伝えるだけで、「時間」という要素はほとんど無視されてきました。

作監督は意識的にか無意識にか、これだけの「ウルトラマンへの挑戦」を行っていたのです。


確か、深作健太監督は僕とほぼ同世代だったはず。
1970年代のヒーローの洪水の中で幼年期を過ごし、思春期の「ヒーロー冬の時代」に、そうと知ってか知らずか「仮面ライダー」の影響を全身に受けた「スケバン刑事」を見て育った「深作欣二の遺伝子を継ぐ男」は、幾多のヒーローの魂を受け継いだ作品を見事、21世紀に生み出したのでした。

下手すると安易に走っても不思議ではないこの手のリバイバル企画で、ここまで楽しい作品を見せてくれたことに感謝したいと思います。
女優石川梨華の魅力を引き出してくれたことにも、ね。

*1:もちろん宣材だから悪いことは書かないだろうけど

*2:この映画の舞台となる高校ですが、読みが「せいせん」であり、「ジハード」との掛詞になっているんですね。エノラゲイの画面にその旨の書き込みがありました。

*3:なんかバダン帝国ぽいけど旧作のままなのが嬉しいですね

*4:この一件だけで万死に値する!…って実際爆死するんだけど。以前述べた、石川梨華接触する役どころの男性は全て不幸になる法則はまだ生きている!

*5:更に言えば、エノラゲイに踊らされた暴徒は「帰ってきたウルトラマン」『怪獣使いと少年』における衆愚を思わせます

*6:「今夜は抱いてくれないの?」という衝撃的な台詞も存在します

*7:そのためヨーヨーの訓練は松浦以上に大変だったようです