名護屋城にて

昨日、家族で小旅行して来ました。
実は先週の僕の「大阪遠征」の際に、両親が長崎県方面に気ままにドライブに行った所、気まますぎて(爆)昼ご飯も食べられないまま平戸方面を放浪したらしく(笑)
そのリベンジの意味をこめて、僕をナビにして、今回は佐賀県の、イカで有名な呼子に行ってきました。
(昨日は疲れちゃったから更新しなかったけどね)

片道3時間ほどかけて到着。活き作り(この字であってるでしょうか)を堪能。
やっぱり新鮮で「透明な」イカは甘くておいしいです。
最初に、切り取ったばかりのまだ動いてるゲソを「どうぞ」って出されたのにはちょっとぎょっとしましたが(笑)

で、呼子の港を歩いてると、

えびすさん発見w
お賽銭上げてお祈りしました。
間違ってもコダイゴン化しませんようにと(ウルトラファンだけ解ればよしっ!(^^;)

その後、名護屋城に立ち寄りました。その前に加部島で、悲恋のヒロイン佐用姫を祭る神社で良縁を必死に祈ったことは内緒です(泣)

名護屋城。ちょっと前に大河ドラマ功名が辻」にも出てきましたね。
太閤秀吉の朝鮮出兵の前線基地として作られたお城です。
僕の考えだと(これは歴史好きの父も同じだったのですが)、あくまで朝鮮及び明国と戦う「侵略戦争の」前線基地として作られた城であり、「ここで戦う」ことを想定していない城なのだから、小さいものだろうと思っていたんです。
それが大間違い。

発掘された城跡だけでもとにかく広く、還暦を越えた両親を(まぁ親父は体力年齢49歳だけどw)歩いて回らせると、大手門から本丸址地まで行かせるのが精一杯という感じ。
更に、案内を見ると、日本中の武将の陣所跡が点々と存在していて…まぁ僕が唯一道中に立ち寄った「加藤嘉明陣址」もただ草が深いだけでほとんど何がなんだかよく解らないところでしたが…「伊達政宗」だ、「徳川家康」だ、「石田三成」だ、「島津義弘」だ、驚くべきことに「足利義昭」だ、と興味深い名前がたくさんあったけれど、とても全部回るのは無理!ってところでした。

なおこれが天守閣址に建っていた石碑です。

その向こう側に見える景色がこちら。

(あまり綺麗に写ってなくてごめんなさい。)
ちょっと背筋が寒くなりました。
というのはね。
ここが天守閣だったわけでしょ。ということは、きっともう最晩年に近づいていた秀吉は、ここから、全日本の(といっても過言じゃないですよね)武将が組織した海軍の船が海を埋め尽くして出港していたのを、誇らしく見守っていたんだろうなと。
想像してみて。

その朝鮮出兵というのが、戦国の世を終わらせて世相が落ち着いてしまうと「豊臣政権」が危うくなる、戦争を続けさせ、恩賞を与え続けなくてはならない、という、政権維持のためだけの、

不毛な侵略だったわけですよね。


海を埋め尽くす、軍船。
必要以上とも思える巨城。
朝鮮並びに明国への示威。
体制維持のために武力を行使することも辞さない。


城跡の解説に書かれていた通り、「悲しい」歴史であり、
彼我を逆転させると、某国と日本の現在の関係に、

似てきてるんじゃなかろうかと。

歴史おたくの僕の考えすぎであって欲しいけど。

ただ、歴史というのはただの物語ではなく、教訓にすべき「事実」なんですからね。安倍政権の外交手腕に、もう、本気で期待するしかないなと。お願いしますよ。