ネクサス最終回


完全に盛り込みすぎではありました。子供さんは理解に苦労しただろうと思います。
一方、イベントや幼児雑誌でのみ登場していた「ウルトラマンノア」「ダークザギ」の出現に、雑誌を読まない「大きなお友達」は面食らったかもしれません。


しかし、「光は絆(NEXUS)、受け継がれる魂」というメッセージは十分、魅せてくれたと思います。


何故、難解になったのか。
出発点は、円谷プロが展開した「N」計画にあります。
最初がイベント用ウルトラマン「ノア」の設定、テレビ番組「ウルトラマンネクサス」、そして映画「ULTRAMAN」(ザ・ネクスト)。
この「ザ・ネクスト」、「アメリカではバットマンスパイダーマンなど漫画のキャラクターが大人の映画になっている、ならばウルトラマンでそれが出来ないわけがない」というコンセプトから作られたものです。


どういう方向性で「大人向け」を表現するか。
表向き、設定をややこしくしたり、登場ヒーローが数多くなったり、意味不明の言葉を発してネットで検索しないと解らなくしたり、
そう言うコトじゃなく。
(ハッキリ言ってこれ、「仮面ライダークウガ」「アギト」の事を言ってます。その後の「龍騎」以降は、「どうせこの二つの流れであれば・・・」という思いから食わず嫌いしています)


そういう難しさは、ただの消化不良のもと。


「ザ・ネクスト」、「ネクサス」は、「まず、(新しく作るとするなれば)ウルトラマンって何だろう」から考えを起こし、「戦う怪獣はどうして地球に出現するのだろう」「怪獣が出現する世界で、人間はどう対処するのだろう」という、根源的な部分に考察を至らせた結果、


難しくなったのです。


「難しそうな方がかっこいい」というコンセプトで演出すると、見れば見るほど解らなくなり、謎を説明することを制作者側は拒みます。
一方、「ネクサス」では謎を提示し、それを短いサイクルで少しずつ解明してあげてます。
ファウストの正体って誰だろう」「ネクストとネクサスには何か関係があるのだろうか」。
1クールずつ、ちゃんと解明してくれています。

最後の1クールが飛んだ為に、最終回付近が詰め込み過ぎな状態になってしまいましたが・・・


この最終回を見て、「ウルトラマンネクサス」というタイトルは、「ウルトラマンの固有名詞」ではなく、

デュナミスト・真木、姫矢、憐、凪、そして孤門という「継承」、
「ザ・ネクスト」から「ネクサス」(ジュネッス、ジュネッスブルー)、そしてノアに至る「継承」という、


ウルトラマンの絆」


という意味ではないかと解釈できます。
だとすると、「主人公ではない」ウルトラマンがタイトルになっている意味が解ってきます。
(確かに昔、「アイアンキング」という作品があったことは否定しませんが)