福岡県の歴史探訪
と言いつつも、画像はGアーマーシリーズです。
あれ?昨日のとほぼ同じじゃん・・・いえ、よく見ると飛行機が「Gスカイイージー」になってます。
これはテレビ版のオデッサ作戦で、マ・クベ大佐が発射した水爆ミサイルを撃墜しに行くシーンの再現です。
(結局爆発しちゃってんじゃねーかよおい!と26年前に突っ込んだ人、手を挙げて!)
実はこのセット、ガンダムに全く武装が施されてないんですが(頭部バルカンは別ね)、このシーンのためにビームサーベルは欲しかったので・・・
ガンダムマーカーで爪楊枝を塗ってみました(爆笑)
サイズがバッチリなのよね。
で、本題。
今日は家族でちょっとお出かけ。福岡県甘木市の秋月というところに行ってきました。
「筑前の小京都」と言われるここは、平安時代に大宰府を中心に栄えた大蔵氏を祖とする秋月氏が治めていましたが、戦国時代は大友氏に近づき、大友氏の没落の後、豊臣秀吉の九州制圧のため宮崎の日向高鍋に移されます。
その後、関ヶ原の戦いの後に筑前(福岡)五十二万石の領主となったのが黒田長政。
その父が有名な黒田如水ですが、長政の叔父(っつーことは如水の弟でしょうね)直之が秋月で1万石を受け、長政の子(二代藩主忠之の弟)・長興が秋月五万石のお殿様になり、これが新しい世代の秋月氏となったようです。
今日は、秋月の歴史資料館を見学。
来週には「大鉄砲」をぶっ放す豪快なイベントも執り行われるそうです。それも見たかったな。
大鉄砲とは大砲のようでさに非ず、土台(not YS)が無いためそれほど大きな弾は撃てず、兵士が抱え上げて撃つタイプの物。見た感じバズーカみたいですが、現在のバズーカのような無反動砲ではないため、鍛えられた兵士でないと撃てないものです。
如水〜長政〜長興と受け継がれた鎧、島原の乱の図屏風など興味深い物がいっぱい。
その中でボクの興味を引いたのが、
「黒田長政の遺言状」
です。
横に現代文訳が掲示してあったのですが、つまり、Tommyなりに要約しますと、
「家康殿が天下を取ったのは、私と父(如水)のお陰だ。
関ヶ原の戦勝の後、家康殿は私の手を取って礼を述べたものだ。
だからこれから、謀反を起こそう等と考えない限り、黒田家は取りつぶされることはない」
うわー、これすげー!
(ホントはもっともっと長いんですけど)
みんなで藩主を盛り立ててうまくやって行け、という主旨の中に、こんな文章が混じってるんだもん。
マジで当時、幕府に知られてたらやばかったと思うよこれ!
長政公が無くなったのが元和九年、二代将軍秀忠の治世まっただ中。
お取りつぶし絶好調の時期ですからね!
よほど自信があられたのでしょう、長政公。
確かに、関ヶ原で小早川秀秋の寝返りを工作したり、東軍の戦勝に大きく尽力したのは間違いないんですけどね。
因みに「手を取って」の部分。
これは父・如水に戦勝報告した際にも話題に出たそうですね。
その時の如水公と長政公との会話、
如水「家康公はそなたのどちらの手を取った」
長政「右手でございますが」
如水「その時、そなたの左手は何をしておった」
つまり、空いた手で家康公を刺して天下を狙うのが武将と言うものではないか、ということで、実際如水公は関ヶ原が長引くと見て九州を平定し、その兵をもって一気に上洛し、関ヶ原戦勝組を倒して漁夫の利で天下を取ろうと画策したとも言われています。
いやー、その証言そのものが文章として見ることが出来るとは。
興奮しましたね。
なおもう一つ気になる展示品が。
鎧兜そのものではなく、絵図にして冊子になっている物も置いてあったんですが(もちろん古いものです)、その中に「木村助九郎」名義の鎧があったんです。
絵だけですけど。
「木村助九郎」って、確か柳生一門の剣の名手だったはず・・・
謎は深まるばかりだったりします。
単純に同姓同名だったりしてね(笑)
あ、就職祝い下さった皆さん、ありがとうございました。
明後日から頑張ります!