机上戦士Z義経(妄想)

Tommy-Ca2005-09-11

まず画像は、一連のシリーズ、今回は「Bパーツ装着ガンダム(マーメイドガンダム)」。
もちろんビーム爪楊枝を持ってます(笑)
ザクレロが欲しくなります。

「圧倒的じゃないか、我が軍は」

という某党首の声が聞こえてきそうな日曜日に考えていた妄想。
(無責任故、厳しいツッコミは無しで(^^; お気楽によろ)

●平家は滅亡し、日本各地の武士は鎌倉の源頼朝に統合され、「鎌倉幕府」という一種の連邦政府を形作った。
仇敵・平家の残党狩りは、「平家追討」の院宣を旗印に、空前の厳しさで行われた。
彼らの先鋭部隊は、「我々は帝の兵である」と朝廷の威光を借り、「帝端頭」(ていたんず)を名乗った。

一方、朝廷に近づきすぎ、頼朝に忌避されるに至った義経一統は、「反鎌倉連邦政府組織」を立ち上げ、「いつか兄とまた相まみえたい」という義経の祈りをこめた「兄有期」(えううご)の旗の元に、再起を図るため奥州・藤原氏を頼った。

一度は勢力を大きく減じた平家残党は、義経の妹「能子」が助け出した主上安徳天皇を中心とし、また吉野で義経と涙の別れを告げた静御前を加えて「悪静」(あくしず)を名乗り、藤原氏及び義経と呼応して鎌倉連邦政府に対し反旗を掲げた。

悪静に荷担した静御前は鎌倉に大いなる怒りを燃やし、自ら戦闘の最前線に立ち、「求兵令」(きゅうべいれい)という呪力を持った白い狩衣で舞を舞い、敵味方問わずそれを見た物を自在に操って鎌倉軍を翻弄した。この戦法を鎌倉軍は「不安練」(ふあんねる)と呼び、恐れたという。

しかし朝廷までも支配下に置いた鎌倉・帝端頭は遂に兄有期を追いつめ、義経が鎌倉への切なる願いを込めた書状を無視するという「書状(めーる)拾得浪無(しゅうとろうむ)」作戦などを積み重ね、百年保って欲しいとの願いから金色に輝く「中尊寺金色堂」の近く・衣川で義経を自害に追い込んだ。

こうして平家滅亡後の戦いは終わりを告げたと思われたが、実は義経金色堂を後に脱出し、蝦夷地に逃げ延びたとの説が当時から囁かれていた。
そう、この言葉を残して・・・

「まだだ、まだ終わらんよ。」


思いっきりフィクションですからねっ!あくまでもっ!(笑)