メビウス第32話「怪獣使いの遺産」

これは非常に評価が難しい作品になりました。
賛否両論が渦巻くのは最初から明らか、元ネタであるところの「怪獣使いと少年」(「帰ってきたウルトラマン」より)があまりに強烈で、あまりにマニア人気が高く、あまりに難解だったため、その続編を作れば、どんな名作を作っても「非難」されてしまうのはやむなし。
であれば、「怪獣使い」続編を作ったこと事態が失敗だと言われかねませんが、「ウルトラマンメビウス」という作品が、昭和ウルトラの知名度に頼ることで視聴率を得ようという消極的な企画ではなく、昭和ウルトラの全てを背負い込んで、ちゃんとした続編にしようという大変ヴァイタリティのいる企画であるからには、「怪獣使い」じゃなくても、いつか必ずこの「壁」にはぶつかったはずなんです。
だから僕は、この作品には積極的な評価をしたいと思います。

(まぁいくらなんでも無茶なところに手を出しちゃったなという問題点はありますが(^^; 敢えて難しいところに手を出した冒険を否定しては、創作者に対して失礼だと思いますので)

昭和46年の11月(つまり僕が生まれた頃だ!)に作られた作品の直接の続編となると、どうしても社会の情勢も違うわけだし、空気感の違いは如何ともし難い。
しかし何よりも違和感があるのは、30数年前の佐久間良少年が「明るかった」事でしょうね。
怪獣使いと少年」は、そのあまりに救いの無いストーリーが異色だったのですが、実はあれ、脚本の上原正三さんというよりも、現場で東條昭平監督がやらかしちゃったものらしくw つまりそれを続かせようとすると何を基準にして設定を継続させるか悩むところです。
この「明るい」良少年は、もしかしたら、(僕も読んだことはありませんが)上原脚本の「救いのあるストーリー」での良少年なのかもしれません。

怪獣使いと少年」を見て、当時の視聴者少年が感じたことを総動員し……例えば、宇宙人は全て悪なのか、宇宙人じゃない良少年を迫害した人間は悪ではないのか、……それに対してポジティブに解決させようと頑張った跡は、随所に見られました。
怪獣使いと少年」での唯一の救いである「パン屋のお姉さん」に当たる所が、今回は園長先生と子供たちなのでしょう。
人間はまだ未熟だが、将来はもしかしたら明るいかもしれない。
現時点での救いは見出せていないのですが(その象徴が「握手を拒むメイツ星人ビオ」)、未来には明るさを感じさせて終わりました。この方法論はちょっと無責任に見えてもしまうんですが。

それと、地球人の幼児に希望を見出しながらも、憎しみを抑えきれないというビオの心情を描いたのはよかったのですが、その後がね。その憎しみを絶つのが、自らが介入を拒んだウルトラマンメビウスであり、その方法が自らが差し向けた怪獣兵器・ゾアムルチを倒すこと、というのも解せない話。

と、まぁ、穴があるが為に「否」の評価がなされても仕方がないと思える作品です。
ですが、この困難きわまるテーマに真正面から立ち向かったスタッフの姿勢を見るにつけ、ウルトラマンメビウスを見ていてよかった、ウルトラマンは今後、まだ面白くなると、こっちも将来への希望を見出せた気分で嬉しいのです。

しっかしメビウスのスタッフは、本当に帰ってきたウルトラマン好きよねw

それと余談。
懸賞に当たった男の子。
そのポーズ、左右逆ですから!(メビューム・シュートを放ったつもりが「ゼアス」のスペシュッシュラ光線になってるがな)
子供にはありがちとはいえ、ウルトラファン垂涎の晴れ舞台に惜しいことをしたね!

(追記)そうしてみると、「ウルトラマンティガ」の「拝啓ウルトラマン様」というのはすごい作品だったなと思います。雨の中でパンを買うシーンも再現されてますのでね、興味ある方はレンタルビデオかなにかで是非、ご鑑賞ください。