メビウスレス

さすがに「怪獣使い」ネタは反響がありましたねぇ。長くなりそうなので新しいエントリーにします。


まずはなちお。さん。

猫ちゃんですが(笑)もしかしたら演技の点ではれいなより幼かったかもしれません。顔立ちは大人っぽいんですけどね。だからカテゴリーはあくまで「可愛い」なのでありますが、あの年頃ってのは微妙に無防備な色っぽさがにじむことがあるから怖いというか嬉しいというかw

「セブンの海底人の話」というのは、ヤジバーンさんが紹介してくれた「ノンマルトの使者」のことですね。「ノンマルト」とは、ウルトラの国の言葉(宇宙語?)では「地球人」の意味であり、モロボシダンは「現在の地球人の方こそ侵略者なのではないか」と苦悩します。結局、ラストは故・キリヤマ隊長の命令でノンマルトの海底都市は全滅させられるのですが、上記の理由で「これで本当によかったのか」という引っ掛かりが最後まで残る、大変な問題作でした。
(「ウルトラマン」のジャミラシーボーズのお話を演出した実相寺昭雄監督作品である、といえば「なるほど!」と思われるかもしれませんね)
実は平成に入ってオリジナルビデオシリーズとなって「ノンマルト」エピソードの解決編が作られたんですが、それよりも時期的に近く、また同じような問題作だったのが、「帰ってきたウルトラマン」の「怪獣使いと少年」だったのです。

えっと、「レオ」の件ですが、公式ページで確認しました。
おおとりゲン=真夏竜さん、人相悪くなってるなぁ(笑)
敵役宇宙人「リフレクト星人」(refrectとは反射って意味だから、光線技が効かなくて格闘でなくては倒せないということなんでしょう)の、どう見ても生物とは思えない造形は、戦いの為に自己改造をして両手を刃物に変えた「ツルク星人」同様、レオらしいデザインになっているのが嬉しいところです。


続き。
ヤジバーンさん。

そうですか!あの脚本家は直木賞作家ですか。
Wikipediaで調べてみました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E5%B7%9D%E6%B9%8A%E4%BA%BA

朱川 湊人 (しゅかわ みなと、1963年1月7日-) は、日本の小説家、ホラー小説家。 大阪府出身。東京都立淵江高等学校を経て、慶應義塾大学文学部国文学科卒業。 出版社勤務を経て「フクロウ男」でオール讀物推理小説新人賞を受賞してデビュー。『花まんま』で直木賞。特撮、アニメ好きがきっかけで「ウルトラマンメビウス」の第32話にて「帰ってきたウルトラマン」の第33話「怪獣使いと少年」の続編「怪獣使いの遺産」の脚本を手がけることになった。

ほう。偉い小説家さんで、脚本は今回が初めてなんですね。
年齢からすると、「怪獣使いと少年」を見たのは8歳の頃。そりゃ印象深かったでしょう。

でもね、「小説家」であると思って改めて「怪獣使いの遺産」を見てみると、なるほどと思える場面が多いですね。
顕著なのは、ドラマの主要部分を映像ではなく台詞で進行させていること。

いや、雨の中の対決など絵的に面白い部分はあったのですが、まず「雨」というのは単純に「怪獣使いと少年」を踏襲しただけのアイデアだし、しかも原典である「怪獣使いと少年」では雨の中で新マンの戦いはドリー(というんでしょ?台車ですね)に乗せたカメラがPANしていくだけのほぼノーカットの長回しで今回の何倍も印象深い映像になっていたので、効果としては「減点」にしかなりませんね。

ストーリー的には一番の救いとなる「はい、おじさん」ですけど、あれも朱川さんの台本によるところというよりも、八木監督の現場処理による効果であるといっていいでしょう。

僕も、趣味の範囲なのでおおっぴらに語れるレベルではないにせよ、シナリオのような形式でお話を書いてネットで公開しているので、「小説」と「シナリオ」の形式の違いはある程度わかっているつもりです。
一番の違いは、「ト書きが見えない」ということ。

つまり小説では「誰々はこうこう思った」「これはこういう意味である」と平気で書けるし、「実は何年前、こういう事件が起こっていたのであるが、主人公は知る由も無かった」なんてことも書けてしまうのです。しかしシナリオではこれが出来ない。
「彼は、身を切られるほど辛かった」という描写をしたければ、小説では単純にそう書けばいいのですが(もちろんリリックにもうちょっと凝らないと直木賞は取れないでしょうけれど)、シナリオで渡された監督は、そして演技者は、「身を切られるような辛さ」を絵で見せなくてはならない。

その点で、「はい、おじさん」のミー子ちゃんは最高の仕事をしてくれていますが、

今回のストーリーを全編見渡すと、(いくら効果的だったとは言え)最初も最後も園長先生のナレーションだし、ビオはいきなりメビウスにテレパシーで語りかけるし、それ以降、ビオもリュウメビウス=ミライもGUYSの作戦室も延々としゃべり続けなんです。
脚本家が訴えたいメッセージを、ト書きで表現し切れなかったために、全て台詞に詰め込んだ。
そういう印象を強く受けました。
本来、僕が最も嫌うタイプの脚本の形です。

ビオが痛みのあまり「わざわざ地球人の姿に変身する」、地球人に対する賠償を国連などではなく「GUYS JAPAN」に要求してくる、など、おかしな演出も多々見受けられるんですよね。
テッペイの台詞にある「いい宇宙人か悪い宇宙人か」とか、園児の「怪獣ならコノミ先生がやっつけてくれるよ」、ビオの「地球人は自分達以外のものを敵と決め付ける(だったらウルトラマンだって宇宙人だ)」など、テーマ的にもっと練って欲しい台詞も数多いですね。

書きながら思ったのですが、ビオがメイツ星人本来の姿で苦しんでいて、それでもミー子ちゃんが「はい、おじさん」出来ていたら、感動はもっとアップしていた気がします。脚本家はそこまで指定していたのか。それとも八木監督が現場で処理したのか……

長くなりましたが、ヤジバーンさんが仰るとおり、こんな難題を敢えて受け止めようとする壮挙には、小説家としては一流ながら脚本家としては新人である朱川さんを起用するより、「ウルトラ脚本家」を選んだ方がよかったと思えます。
マイケル・ジョーダンが野球選手としては3流にしかなれなかったように、似たフィールドでも畑違いだったら「新人」とみなす勇気は必要です。
もしかしたら朱川さんに「怪獣使い続編」の企画を持ち込んだのではなく、朱川さんが怪獣使い企画を持ってきたのかもしれませんが、それを断れないのであれば、知名度だけに頼った「ウルトラマンマックス」と同じ轍を踏んだことになりますね。


最後にアッガイさん。
上記の理由から、あの「一番星」は何らかの意図を持って作られたシーンではないと僕は思っています。仰るとおり、あれが「佐久間良少年がメイツ星に行った証」と捕らえてしまうと、ビオが良少年を知らないことに矛盾が生じます。

ドラマ全編を総合して判断するに、朱川さんが一番星の指定を出した確率は非常に低く、また出していたとしても、ドラマ的意図を持って指示していたとは思えないんですよね。


前回、かなり肯定的意見を優先して書いたのですが、そのせいか、今回はゆり戻しで否定的意見ばかりを書いてしまいました。ひとり賛否両論(笑)
「志」はよし、「成果」はあし、といったところですかね。
でもこんな風に、過去をちゃんと受け止める意志は最後まで持ち続けて欲しい。その結果がたぶん、熱血なレオなんだろうなと期待(笑)
だって考えてみたら、レオがダンに鍛えられてたのって、1年の放送中、前半の半年ももってないんですからね。


あ。


おおとりさん、いま地球にダン隊長いますよっ!(しかも足は治ってるし!)
あんまり偉そうなこと言ってると、焼き入れられますよ!(笑)